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長い長い旅の果て、
食べて生きて
私たちは「日本人」になった。

この日本列島に人が住み始めたのは、およそ4万年前。
広大なユーラシア大陸を数世代にわたって流浪してきた集団の一部が、ナウマンゾウやトナカイを追って極東の外れにたどり着き、根を下ろしたのが始まりだったと言われています。

この人類の長い旅は、グレートジャーニーと呼ばれています。
それは、アフリカで誕生したとされる人類が世界中に散らばっていった、長い長い旅の軌跡。そのルートをたどっていくと、無数の人たちが旅をし、見知らぬ土地を切り開いてきたすがたが浮かび上がります。
旅をしてきたからこそ世界中でさまざまな文化が花開き、日本列島にも固有の文化が生まれ、こうしていま、ここに僕たちが存在します。
想像すればするほど、気の遠くなる、夢のような話です。夢のような時間が過ぎ、地球上には70億人が暮らすようになりました。

人はなぜ旅をするのでしょうか? ロマンだと答えた人は、次の僕の言葉にちょっとがっかりするかもしれません。
それは、食べるため。この地球上に生きているほぼすべての生き物は、食べることで栄養を補給し、エネルギーに変えて生きています。生物がまだ豆粒よりもはるかに小さかった時代から、そうセットされてきました。
事実、呼吸をせずに生きられる生物はいても、何も食べないで生きていける生物はいません。いや、もしかしたらいるのかもしれませんが、基本的にそれは生物の定義に当てはまりません。

食べてエネルギーに変える仕組みは、代謝と呼ばれています。
理科の教科書風に言うと、遺伝して子孫を残すこと、細胞という小さなかたまりを一単位にしていること、ずっと同じではなく進化する可能性があることなどと並んで、生物の条件に挙げられています。
こうした生きる条件が十分に満たされたとき、生物は快をおぼえます。
生物的に見た場合、食べることは単なる栄養補給ではなく、心地がいいこと、しあわせなこと、とイコールです。
逆に言えば、食にありつけない状態は苦しみの元凶です。食べられないことは多くの人にとって不幸に直結します。食べられなくなったら、自己の生存はもちろん、家族を養えず、子孫が残せなくなります。それは生物としての本能に反することであり、快から遠ざかる行為そのものでしょう。

つまり、グレートジャーニーは、フードジャーニー。旅することは食べること、食べるために歩くこと。
アフリカで生まれたとされる人類は、なぜ世界へ散っていったのか?
さまざまな背景が考えられていますが、シンプルに言えば、その土地で食べられなくなった、だからやむなく旅を始めた。食べるものを求めて、いや、失われた心地よさを求めて……。
冒険心、好奇心だけで大移動が起こるわけではない、もっとずっと切実な事情のなかから人生の冒険は始まるのです。

食べるということには、さまざまな側面があります。
食は歴史のなかで培われた文化であると同時に、生理的な営みであり、経済と健康、生存するための両端に直結しています。
大事なのは、分断される前の世界を想起し、できるかぎりフラットな状態で世界を見つめ直してみることです。
生物としての自分は、細胞レベル、身体レベルで、こうした分断される前、壁のない世界をたえず感じとっています。
それは、部分に対する全体と呼んでもいいかもしれません。

ユーラシアからアジアへ、アジアから日本列島へ……極東の細長く、小さな島にたどり着いた人たちは、特有の気候風土のなかで食べ、感じ、行動し、そこでしか味わえない生き方を受け継いでいきました。
その国ごと、その地域ごとにフードジャーニーがありますが、この本でフォーカスしたいのは日本列島のフードジャーニー。その全体像をつかみとるため、過去の歩みをたどる旅に出てみましょう。
生きることは食べることである以上、この旅は歴史や地理にとどまらず、身体の働きともリンクします。食べ物からエネルギーを生み出す代謝、そこに関与する免疫、腸内細菌なども生命の旅の一部です。

マクロからミクロへ、そしてマクロからミクロへ……。
わたしという存在の内と外を自由に行き来しながら、これまでになかった旅の地図を描いていきたいと思います。  読まれた方の旅の概念が変わり、生きて食べることの意味が再構築できたならば、これ以上の喜びはありません。

長沼敬憲

Concept

キーワードは「縄文」「コメ」「発酵」……。

奇跡のコラボレーションを
丹念に取材、独自の視点で描いた
渾身のノンフィクション!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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